人生のヒント シンラインのインド1周の旅

大学卒業後に就職せずに皿洗いをしてインド1周の旅へ!人生のヒントが詰まった20代の記録。

インド映画そして大都市ムンバイへ

プネーで初めてのインド映画を見ました。1本は非常に良くできた映画で言葉理解しきれませんでしたが、インドのジャッキーチェンの映画見たいな、笑いあり泣きありアクションあり恋あり、そしてお決まりのダンスシーンありの映画でした。そして、ほかにもう1本見ましたが、これは完全に失敗でした。羊たちの沈黙のパクリ映画で、シナリオもボロボロでインドの人達もブーイングしていました。あと驚いたのが映画途中に休憩タイムがあることです。トイレ近いので私はとても助かりました。

 

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その後プネーを後にし、インド一の大都市ムンバイへ行きました。

この町はかなり大都市で物価も高いです。ホテルが、他の町の8倍くらいはする感覚です。とりあえず町を歩いていると屋台の焼きそば屋さんとかがあって他の町とは違う感じでした。でも焼きそばは真っ赤な色をしていた記憶があります。

ストリートチュルドレンは、当時この大都市にも多くいました。踊りながら歌ってた子が、突然手を出して、お金頂戴と言われた時に渡すことができませんでした。ただ、「とても歌とダンスが上手いね」って拍手し褒めたらもっと楽しそうに笑顔で歌い始めて、そのまま私がバスに乗るまで踊って歌ってくれました。

写真は、ムンバイです。

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信じる者は救われる⁈ 根拠の無い自信とエローラ遺跡の共通点

前回の危機を経験して、凹むのとは逆の旅に対する根拠のない自信が出てきました。次に向かったのはエローラという遺跡です。この遺跡は150年間も作り続けているらしいです。仏教窟、ヒンドゥー教窟、ジャイナ教窟の3つの宗教の石窟があります。

人々のモチベーションがこれほど長く続けられるのは、宗教が背景にあるからだと思います。つまり、人は何かを信じる事で強い意思を持って、物事を続けることができるのでしょう。私にとっては、旅運が良いのだという根拠の無い自信が、このインドの旅を続ける支えになりました。そこには論理的な理由はありません。ただラッキーだと思っただけです。根拠や論理的な事を超える存在として、神話や宗教があり、これは人類の生み出した叡智であると思います。その物語を信じるからこそ、強く生きる事ができるのかもしれません。

私は、そんなインドの人々に敬意を持ちつつも、その何かを自分自信の中に持つことで、不思議とこの旅に対する強さを持つ事ができました。

あなたを支えている事や信念は何でしょうか?気が向いたらコメント等下さい。

写真はその遺跡です。とても素晴らしい眺めでした。確かこれも世界遺産かと思います。

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睡眠薬強盗⁉︎この旅最大の危機

とうとうその日がやって来た、この旅最大の危機です。まだ旅に慣れていない私は、ビクビクしてたのだろうと思います。アジャンターへと石窟遺跡のある町へバスで移動しました。バスを待っている間、物腰柔らかなインド人(以降彼と記載)に声をかけられました。遺跡を見にいくと言うと、自分も同じだと気さくに話しかけてきました。そのあとは特に話さず、遺跡に到着しそこでまた話しかけられ写真を撮ってもらったりしながら一緒に遺跡を見ました。

見終わって

彼「どこに泊まるの?」

私「そこに泊まろうと思う」

彼「僕もそこに泊まるよ」

チェックインし、その後

彼「僕の部屋で話しない?」

私「わかった。後で行くね。」

何故か全財産入ったカバンを持って彼の部屋へ行きました。その時は自分のそばに置いておく方が安全と考えたからです。

そして彼の部屋へ

彼「遺跡楽しかった?」

私「見れて良かった」

彼「そうだ、クッキーあるけど食べる?」

その時新品の袋の空いてないクッキーを開けて、私に渡しました。

私「ありがとう。」

そして一口食べて、30秒くらいで急にめまいがしました。

私「調子悪いから、部屋に戻るよ」

彼「一緒にいくよ、、。」

やばい、睡眠薬強盗だととっさに感じた私は、走って逃げたはず。でも全く記憶がありません。

目が覚めたときは、ホテルの部屋に一人でした。

記憶が混乱していて起きて思った事は、ちゃんと野菜食べないと調子悪くなるなと思いました(笑)。

ホテルのフロントに降りたところ、

ホテルの人「大丈夫か?廊下に倒れていて医者呼んだぞ。睡眠薬飲まされたみたいだね。」

私「?!、あーそういう事か」

どうやら私はカバンを抱えたまま、ホテルのフロントから見える位置でうつ伏せに倒れていたそうです。何も取られずにお金も全部無事でした。

まだ睡眠薬の影響で気持ちが悪く、もう1泊したかったのですが、ホテルが、予約で満室との事でホテルのフロントの脇の従業員の椅子でしばらく休ませてもらい。次の場所へ移動しました。

助けてもらえてありがとうとホテルの人に言ったかも、混乱していてあまり覚えていません。今更ですがホテルの方々ありがとうございました。

この日を境に私の考えが大きく変わります。

そうか、俺はラッキーなんだ、こんだけの事があっても何もとられなかった。ついてる! 昔ラッキーマンというマンガがあって、「実力はないがツイて、ツイてツキまくる」ヒーローの話を思い出しました。この根拠があるのかないのかわからない自信が、この後の旅を劇的に変えます。

何も怖くなくなった私は、自分の中に不思議な強さを感じながら、この出来事に感謝し次の町へ行きました。

今まであまり、食事も合わない感じで多くは食べれず、バナナやお菓子を食べることも多かったですが、この日はたらふくカレー味のチャーハンを食べ、「これから楽しむぞー!」と思いながら、パワーがみなぎってきました。

睡眠薬強盗に出会った時、なんか違和感があったのにその直感を無視してしまいました。この旅カンは大事だと思いました。そして、退路の確保も大事だと(笑)。

ビクビクしていた私が、自分を根拠のない自信と自分の直感を信じて旅を続けられる大きなきっかけとなりました。

写真はその石窟遺跡です。

彼にとってもらった私も写っている写真もあろのですが、ここには載せていません。睡眠薬強盗に写真を撮ってもらうなんて滅多に無いですよね(笑)!

 

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地球の歩き方と写ルンです

今回は旅に持っていった物に関して書きたいと思います。

このインド旅にかかせなかったのは、「地球の歩き方」とフィルム交換可能な「写ルンです」というカメラでした。当時は、今みたいにスマホはなく簡単に写真撮るわけにいかず、でも高級な一眼レフを持っていくのも重いしリスクあるので、写ルンですにしました。ちなみに、ブログでアップしている写真は今のところ、わざわざプリントした写真をスマホで撮っています。

地球の歩き方を見て、だいたいの旅程を決めました。実際には、予定してないところへも行きましたが、この本のおかげで最低限の場所の把握とその場所付近の観光地がわかるので、助かりました。たまに間違った場所でバスを降りてしまい。ここはどこ?状況もありましたが、その話はまた別の時に書きます。

写真は、ボロボロになった「地球の歩き方」とアルバムです。この写真から何年代に行ったのかわかりますね(笑)。

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リキシャーとタージマハルとサル

まずは、タージマハルを目指して移動するため、電車の切符を買いました。電車の等級を理解してなくて、車両のどこが何等車両か分からず、間違えておそらく2等車両に乗りました。周りのインド人たちが、この切符違うけどまぁ良いよと座らせてもらえて一安心。駅に着くと日本人の観光客も他にいて、それぞれの自転車リキシャーに乗ってホテルまで移動しました。この時私が乗ったリキシャーのお爺さんは、仙人のような人でホテルまで暑い中移動し、いくら払えば良いか聞くと、いくらでも良いというのです。相場が分からず、適当に払いましたが、かなり安い金額だったと思います。他の人を乗せた若いリキシャーの人は、少し不満そうでした。次の日にその若いリキシャーの人に来てもらいタージマハルを目指す事になりました。そして当日、若者たちはどうやら昨日の金額と今日の予定金額が不満だったのか、灼熱の太陽の下、こちらが倒れそうになるまで意味もなく走り回られました。文句言って何とかタージマハルに到着。やっぱり凄い美しさでした。私の最初のインド世界遺産はタージマハルとなりました。もう一つ、川の対岸にタージマハルが見える近くのお城にもいきました。タージマハルは王女のお墓(霊廟)で本当は対岸に、王様のお墓として黒のタージマハル作る予定だったそうです。

次の日にすぐに、別の街に移動するためリキシャーに乗って駅へ移動しました。別の老人でしたが、降りる時に電車の中のスリに気をつけてるように再三言われました。この老人もとても良い人でした。

リキシャーの金額交渉もまだ慣れない中、少しずつ学んでいる頃ですが、心の豊かな老人との出会いから感じることは多かったです。

写真は、タージマハルとなぜかホテルの窓にたたずむサルです。

 

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出発

一度決めた後は、インドへ旅に行くこと以外考えませんでした。就職活動はせずに、まずは、皿洗いのバイトを始め、さらに入力バイトもして24万円貯め、8月にインドへ出発しました。

デリー空港に着いた時に、偶然同じ飛行機に大学の同期が乗っていてデリー空港から市内までは一緒に移動しました。彼はSEの仕事の関係でインドに来たとの事で、最初の移動は安心して市内までできました。彼とはそこで別れて、私はまずは今日の宿探しからです。宿を見つけて外を歩きましたが、半端なく暑い😵。結局30分でバテてしまい、ホテルに戻り夕方まで外出しませんでした。想像以上の気温にまずはノックアウトぎみ。果たして旅は続けられるのか、、。

写真は、たしか初日のデリーのホテルからだったと思います。まだ、外の世界におびえて閉じこもってる感じですね(笑)。つまらない写真ですいませんが、載せておきます。

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そこにはインドがあった

大学4年生の時、このまま社会に出ることへの漠然とした違和感がありました。何かが足りない感じですがはっきりわからず、どうすれば良いかわかりませんでした。

そんな頃、久しぶりに中学校時代の恩師と飲みながら話す機会がありました。話をしていると、突然「おまえインドでも行ってきたら」と言われました。私は、とっさに「行ってきます」と言っていました。大学を卒業した後、就職せずに旅に出る事を決めましたが、不思議と怖くありませんでした。むしろそれが自分の道のように感じました。何か足りないと感じて探していた場所、そこにはインドがあったのです。これから、このブログでは過去のインド1周の旅の記録を少しずつ書いていこうと思います。

写真は、パンピに向かう電車の中での一コマです。

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